水曜日の子ども



水曜日生まれの子は悲しみいっぱい (マザーグース)


ミャンマーについての報道が堰をきったように溢れて、それも暴力だと感じていた。なぜなら、見ることによって、否応なしに惨禍の見物人になるからだ。だから、できるだけ新聞もテレビも見ないようにしていた。

そんな折りも折り、知人からミャンマーの子供たちのためにチャリティオークションを開くので、何か出品してほしいと乞われた。迷ったすえに、ban rom saiの子供の描いた絵と、15周年記念に出版した小さな子供たちの画集にした。ban rom saiは、タイのチェンマイにある施設で、HIV感染の子供たちのために創設されたものだった。ミャンマーとは隣接したタイでもあるし、微かな縁もありそうだと思った。

絵は売れたようだったが、小さな画集は返送されてきた。


川端潤の制作したミャンマーのドキュメンタリーの中に、大河とその上に重くのしかかる空を撮った場面があって、叙情的な音楽とあいまって、その美しさはながく心にのこった。それは、この国がくぐってきた歴史の、抗いがたい流れの比喩だったのかもしれない。澄んだ水ではなくて、漂流物を浮かべた泥の大河であることが、なんとも象徴的だった。

映画を上映したポレポレ東中野には、ミャンマーの青年がミャンマー製のビールを売っていて、それを飲みながら、青年と少しことばを交わした。そのときから、すでにミャンマーには政治的な混乱と不穏があって、青年はそのことを憂いていた。むかし、ロンドンのチャイナタウンでヴェトナム難民の少年がやっていたフォーの立ち食いの店のことを思い出していた。しっかりと根を下ろすことさえできないことの不幸と悲惨さは、日本にいると遠い岸のむこうのことのようで、よるべなさも痛みも感じることができないのが正直なところだ。


マザーグースは、一週間それぞれの曜日に生まれる子供の運命を予言している。


Monday’s child is fair of face,
Tuesday’s child is full of grace;
Wednesday’s child is full of woe,
Thursday’s child has far to go;
Friday’s child is loving and giving,
Saturday’s child works hard for its living;
But the child that is born on the Sabbath day
Is bonny and blithe, and good and gay.


水曜日に生まれてしまったら、full of woe災難がいっぱい。
マザーグースは、とても残酷で、身も蓋もない。
できれば、ミャンマーの子供たちに、君たちはみんな日曜日生まれだよと、小さな肩をたたいてやりたい。



文筆家
佐伯 誠
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