古舘徹夫
.....??? かつて古舘が開いてしまった傷口、それが"NOISE"である。おそらくそれを確かめるためには20年を遡らなくてはならないだろう。彼はあるとき言った「沈黙を待つこと」。しかし"NOISE"シーンは増大し、沈黙は遅延する。古舘が"Autrement qu'etre"を始めた'94年頃、彼は"NOISE"のありようを豹変させたかのように想われる。 古舘は "NOISE"が飽和するその限界線上でレクイエムを聴き分くのである。そして"Autrement qu'etre"のサウンドの中には多くの音楽的遺骨が納められることになる。ただ古舘にはタブラ・ラサなどという幻想はない。つまり彼には飽和も沈黙も、ましてや死も訪れるはずもないからである。古舘自らが開いた傷口... 今では巨大化し丁度良い墓穴となった"NOISE"を、彼は漸く塞ごうと...いや、封じ込めようとしている(と言った方が適切であるかも知れない)。そしてその墓穴の中に、彼は"NOISE"もろとも、芸術という西欧的な手続までも放り込もうとしているように想えてならない。