TETSUO FURUDATE



 
 

実は自分でも気がついていなっかたのですが、20歳代に「死」と隣接しない音楽家などは有り得ないと放言し(凡庸な若い詩人です。)、火炎瓶を投げたり(これは川村さんもご存じのはずです。)、地中に埋まったり、首つりしたり、鏡に飛び込んだり、手首を切ったり、あたまに火薬をつけて爆破させたり(書くと時代的で恥ずかしいですね。)していたのですが、ある時期、ちょうど「オセロ」をドイツで初演しようとしていた頃からだと思います。むしろ死による喪失感への恐怖に変換していきました。
これは、まさに前のメールで書いた年齢による攻撃性の後退に違いないのですが、この死による喪失感は自分も他者も含めて首筋を噛み取られたような痛みを感じます。(肉食動物はライオンもヒョウも熊もみんな首筋を狙います。)
この喪失をどのようにしてごまかし、ごまかしきれないかが今の僕のテーマになっているようです。